阿哲台

ここは山か、もと海か。
——答えは足元にある「阿哲台」

 阿哲台(あてつだい)は、岡山県新見市の中南部に広がる石灰岩の台地。高梁川や佐伏川、備中川により大地が削られ、4つの台地ができました。それを、旧村名から草間台(くさまだい)豊永台(とよながだい)石蟹郷台(いしがさとだい)唐松台(からまつだい)といいます。標高は400m~500m、石灰岩層は600mあります。

 「阿哲(あてつ)」という名前は、もともと古代からあった単独の地名ではなく、明治時代に作られた“合成地名”です。1900年(明治33年)、岡山県北西部にあった「阿賀郡(あがぐん)」と「哲多郡(てつたぐん)」を合併して、新しく「阿哲郡」がつくられました。その後、「阿哲郡」は2005(平成17)年新見市と合併して消滅しましたが、すでに戦後の天然記念物指定で「阿哲台」という名称が正式に使われていたため、現在もその名が継承されてます。

国土地理院赤色立体地図より製作
阿哲台の断面図(国土地理院地図より製作)

阿哲台の石灰岩は約3億年前のサンゴ礁

 サンゴ礁は、サンゴが成長する過程で二酸化炭素を取り込み、石灰質の骨格をつくり、それが長い年月をかけて積み重なってできたものです。
 このサンゴ礁は、海洋プレートの上にある海山(かいざん)の一部として、ゆっくりと移動しました。そして数千から数万年という長い時間をかけて大陸プレートに近づき、やがてそのふちに押しつけられて、「付加体」と呼ばれる海底の堆積物と混ざり合います。その後、地殻変動によって地面が押し上げられ、海の底にあったサンゴ礁は石灰岩となって、現在の大地に姿を現しました。

 石灰岩は「炭酸カルシウム」という物質で「チョーク」や「卵の殻」と同じ仲間です。「炭酸カルシウム」は、雨水に含まれる二酸化炭素(炭酸ガス)と化学反応を起こし溶ける性質を持っています。

 この「水に溶ける」という特別な性質があるからこそ、石灰岩の地域には地下に巨大な空洞(鍾乳洞)ができたり、地上にポコポコとした奇岩が並ぶカルスト地形が作られたりします。

 カルスト地形の特徴として、次のような地形がみられます。
すり鉢状の小さな凹地=ドリーネ
ゴツゴツした岩の露出=カレンフェルト
地下に発達した洞窟=鍾乳洞

地球のタイムカプセル
阿哲台の鍾乳洞

 阿哲台には、古生代(約3億年前)のサンゴ礁などが堆積してできた石灰岩層が厚く発達しており、長年の雨水や地下水による侵食(溶食作用)によって、無数の鍾乳洞(洞窟)が形成されています。
 阿哲台の鍾乳洞の調査が始まったのは、昭和45(1970)年。岡山県立新見高等学校の柴田晃教諭(故人)が中心になって発足した「岡山洞穴研究会」が、本格的に着手しました。

宇山洞

縄文時代から続く人々の営み

 阿哲台のひとつ、豊永台では、約8000年前の人骨や土器が見つかっています。これは縄文時代のものです。

 当時の人々は、鍾乳洞の入り口や、大きな岩が張り出した「岩陰(いわかげ)」を住まいとして利用していたと考えられます。洞窟の中は一年を通して気温があまり変わらず、夏は涼しく冬は暖かいため、雨や風もしのげる、とても暮らしやすい場所でした。

 シカやイノシシ、ウサギなどを狩り、ドングリやクルミなどを採取、地下から湧き出る水を使い、台地のふもとの川まで下りて魚をとり生活していたのではないでしょうか。

 カルスト台地は、雨が降っても水がすぐ地下へしみ込むため、地表に川ができにくい土地です。それでも縄文人たちは、洞窟を住まいにし、山の恵みを集め、地下水を利用することで、この独特なカルストの環境に合わせた暮らしをしていました。

 カルスト台地の「水はけの良さ」が、実は作物を育てる大きな強みになっています。

 たとえば、阿哲台では「ピオーネ」「桃」「そば」などの栽培が盛んです。ぶどうや桃は、水分が多すぎると根が傷みやすく、実の甘みもぼやけてしまいます。しかし、水はけの良いカルストの土では、根がしっかり張り、甘みの強い果実が育ちやすいとされています。また、昼と夜の気温差が大きい高原の気候も、果物の甘さを高める助けになっています。

 さらに、「カルスト大根」と呼ばれる大根は、きめが細かく、みずみずしいことで人気があります。石灰岩地帯の土は細かな石を多く含み、水はけが良いため、大根がまっすぐ育ちやすいともいわれています。

 カルスト台地は、水はけ、高原の気候、石灰岩の土という特徴を活かすことで、昔から人の暮らしを支えてきた土地でもあるのです。縄文人が自然を読み取りながら暮らしていたように、現代の人々もまた、この独特な大地の性質を“弱点”ではなく“強み”に変えてきました。

©羅生門ガイド