隆起に負けず削り続けた
―井倉峡・絹掛の滝―
高梁川の井倉から草間広石までの井倉峡は、“地面が持ち上がる力”と“川が削る力”が、長い時間ほぼ絶妙なバランスだったことで生まれた地形です。
もともとこの場所には、すでに高梁川が流れていました。その後、大地がゆっくりと持ち上がり始めますが、川は流れを変えることなく、同じ場所を流れ続けました。
地面は「隆起」によって上へ持ち上がろうとします。
一方で、高梁川は水の力で地面を下へ削ろうとします。
つまり、
地面 → 上へ上へ
川 → 下へ下へ
という、逆向きの力が同時に働いていたわけです。
ここで大事なのが「その速さ」です。もし、地面が持ち上がるスピードの方がずっと速かったら、川は削るのが追いつきません。すると水は流れを失い、途中でせき止められて湖のようになっていた可能性があります。逆に、川が削るスピードの方が極端に速ければ、谷はもっと広く崩れ、現在のような切り立った峡谷にはならなかったかもしれません。
つまり現在の井倉峡は、
地面がゆっくり隆起し、
川も負けずに削り続けた
その“ちょうどよい均衡”の中で生まれた地形だと考えられているのです。
そのうえ、ここは石灰岩地帯。石灰岩は、水に少しずつ溶ける性質があります。そのため、雨水や地下水が岩の割れ目に入り込み、地下に無数の水の通り道をつくります。
そのため井倉峡では、
地表では高梁川が谷を削り、
地下では地下水が石灰岩を溶かし、
崖の内部でも水が岩を弱くしていた
という、目に見えない作用も同時に起きていた可能性があります。
こうして生まれたのが、井倉峡の迫力ある景観。比高およそ240メートルにも達する、ほぼ垂直の石灰岩の絶壁です。
井倉峡は、高梁川上流県立自然公園に指定されています。


井倉峡には、 「絹掛の滝」や「阿里佐淵(ありさぶち)」、「柵が瀬(さくがせ)」=別名「棚が瀬(たながせ)」などがあり、左岸が阿哲台、右岸が石蟹郷台(いしがさとだい)となっています。

削るスピードで負けた
「絹掛(きぬがけ)の滝」
絹掛の滝は、国道180号沿い新見市草間にある直下型の滝。白絹を垂らしたような姿からその名がついたとされ、天然滝としては高梁川水系第一の高さを誇ります。
水は、草間台地にある宮原地区のドリーネの底から地下に吸い込まれ、それが小渓流として地上に現れて滝に流れ込んでいます。
絹掛の滝は、高梁川の本流と、そこに流れ込む小さな支流(枝分かれした川)が、まわりの土地を削るスピードの違いによって生まれました。
絹掛の滝があるこの地域は、「阿哲台(あてつだい)」と呼ばれる石灰岩の広大な台地です。ここを流れる大きな川「高梁川」は、長い年月をかけて激しく地面を削り、深いV字型の谷(峡谷)を作り出しました。
一方で、高梁川に合流しようとする小さな支流は、水の量が少ないため、高梁川ほど素早く地面を深く削ることができませんでした。
その結果、本流である高梁川の通り道だけがどんどん深く削られて低い位置になり、支流の通り道との間に大きな「高さの差(段差)」ができてしまいました。この削り残された高い崖から、支流の水が勢いよく高梁川へと流れ落ちるようになった場所が、「絹掛の滝」です。

絹掛の滝上流には中の滝と、裏見の滝である奥の院の滝がありますが、残念ながら道がなく行くことはできません。
参考資料:岡山のカルスト(1992年 山陽新聞社刊)

阿里佐淵と柵が瀬。
生死を分ける「淵(ふち)」と「瀬(せ)」。
「立つ瀬がない」
「昨日の淵は今日の瀬」
「瀬を踏んで淵を知る」
「淵(ふち)」や「瀬(せ)」を使った慣用句やことわざは意外に多くあります。
それは、昔の人々にとって川が暮らしのすぐそばにあり、同時に命に関わる存在でもあったからでしょう。
橋が少なかった時代、川を渡ることは命がけでした。
「どこが浅い瀬なのか」「どこが危険な淵なのか」を見極める知識は、文字どおり生死を分ける大切な知恵だったのです。
国土交通省の資料によると、高梁川は新見市千屋の花見山(標高1,188m)を源流とし、瀬戸内海の水島灘へと注ぐ全長111kmの急流河川です。
井倉峡はその中流域に位置し、「淵」と「瀬」を象徴するような名所として、「阿里佐淵(ありさぶち)」と「柵が瀬(さくがせ)」、別名「棚が瀬(たながせ)」が知られています。
阿里佐淵は、井倉洞の前を流れる高梁川の深い淵です。現在は「阿里佐伝説」の舞台として親しまれていますが、地形的には、川の流れが長い年月をかけて岩を深くえぐることで生まれた場所です。
井倉峡は石灰岩の峡谷で、川幅が狭く、流れが一気に集中しやすい地形をしています。そのため、場所によっては水流が川底を深く削り、阿里佐淵のような深い淵が形成されました。
一方の「柵が瀬」は、水深が浅く、岩肌の上を激しく流れが走る「瀬」にあたる場所です。この周辺には昔から川の中にゴツゴツとした岩が並び、まるで自然の「柵」のように水の流れを遮っていたことから、「柵が瀬」と呼ばれるようになったと伝えられています。
周囲には石灰岩がむき出しになった独特の地形が広がり、複雑な凹凸や激しい流れが織りなす景観からは、長い時間をかけて峡谷を刻んできた自然の力強さと同時に怖さも間近に感じることができます。

井倉峡を流れる高梁川は、少し進むだけで「瀬」から「淵」へと劇的に表情を変えます。「歩いて渡れるほど浅い場所(瀬)」と「足がつかないほど深い場所(淵)」が隣り合っているドラマチックな構造をしています。
井倉峡の高梁川は危険と隣り合わせ
井倉峡を流れる高梁川一帯は、法律や条例によって一律で「全面遊泳禁止」と厳しく指定されているわけではありません。
しかし、「阿里佐淵」のように、このエリアには水深が非常に深い「淵」が点在しています。岸に近いところは浅く見えても、川の真ん中に向かって急激にすり鉢状に深くなり、水深が5〜6mに達する場所が普通にあります。水面は鏡のように静かに見えても、川底に近い深部では冷たい水が激しく渦巻いている(湧昇流や吸い込み流など)ことが多く、足がつって動けなくなるリスクが跳ね上がります。
「川に入って泳ぎたい」「水遊びをしたい」と思っても、井倉峡周辺の高梁川は絶対に避けてください。
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